1ー3 スポーツ界におけるヒーローのイメージ


図1−3−1 孤独なヒーロー


 図1−3−1を見てみると、スポーツ界にヒーローを望んでいる人はヒーローを「孤独」と感じていることが分かる。スポーツ界というとまず思い浮かぶのが、「野球」や「サッカー」などのスポーツだが、「孤独」なスポーツというと例えば「マラソン」などの陸上競技や「ボクシング」などの格闘技が挙げられる。しかし単身でアメリカに渡った「NOMO」も「孤独」なスポーツ界のヒーローといえる。人々は「NOMO」のように自分の力で夢を叶えていくヒーローを望んでいるのかもしれない。

図 1−3−2 遠い存在のヒーロー


 図1−3−2を見ると、スポーツ界にヒーローを望んでいる人はヒーローを「遠い」と感じている人が多い。スポーツ界におけるヒーローは自分にとって身近なものではなく、雲の上の憧れの存在なのではないかと思う。スポーツ界は夢の世界のようなものであり、人々は自分には手の届かない世界であると分かっているのである。スポーツ界のヒーローは「自分もなれるかもしれない」というものではなく自分ができないことを代わりにやってくれる存在なのではないかと思う。ヒーローが活躍する姿を見ることによって、日頃のうっぷんを晴らしたりできるのである。しかしヒーローを遠いと感じているということは、結局ヒーローがどんなに活躍しようと、自分の生活にはあまり深く関わることではないのだ思う。スポーツ界のヒーローは、自分とは違った世界で、自分の夢や願望を叶えていってくれる存在であるということができるのではないかと思う。

 図 1−3−3


 図 1−3−3を見てみると、スポーツ界にヒーローを望んでいる人は「ヒーローには特権が与えられて当然だ」という意見に賛成する人が多い。このことから、人々にとってスポーツ界のヒーローは「特別な選ばれた存在」であることが分かる。つまりヒーローは「普通の人」ではなく、ヒーローになるべき素質を持った人こそがヒーローになれるのである。ヒーローになれる素質というのは、「才能」や「人をひきつける魅力」などではないかと思う。ヒーローはヒーローとしての役割を果たしているのだから、特別扱いされてもいいというのが人々の意見ではないだろうか。
 前に書いたとおり、やはりスポーツ界のヒーローは「手の届かない憧れの存在」であるといえる。誰でもがヒーローになれるわけではなく、ほんの一部の人だけがヒーローになれる可能性をもっているのである。人々は自分がヒーローにはなれないと分かっていて、そんな自分の思いをヒーローに託しているのではないだろうか。スポーツ界のヒーローには普通の人には不可能なことを可能にしてしまえるような力が必要なのではないかと思う。人々にとってスポーツ界のヒーローは、いつも自分の思い通りの存在でなければならないのではないだろうか。

担当:利村 恵里香

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