研究室探訪

福家崇洋 准教授(国際文化論コース 国際文化論分野)


<なぜ社会運動を研究するのか>
 私の専門は日本近現代史で、とくに社会運動史や社会思想史について研究しています。
 近年、日本でも東日本大震災後の反原発運動や安保法案に反対する学生運動が登場するなど、再び社会運動に注目が集まっています。
 なぜ社会運動が生まれるのでしょうか。それは、不幸なことに、いつの時代でも社会のなかで生きづらさを感じる人々がいるということです。自分が生きたいように生きることができないということです。しかし、一人一人は微力でも集まって共振することで、社会問題を解決し、より生きやすい社会を創っていくことができます。
 このため、社会運動の歴史には、過去から現在まで、人々がいかなる生きづらさを感じ、この問題と向き合うなかで共同して解決しようとしてきたかが凝縮されています。痛みや悲しみを感じている、生身の人間がそこにはいるのです。彼・彼女らの生き様や考え方を追いかけることは、無味乾燥とした知識をこれまで見たことのないものへとドラスティックに変えてくれます。これが社会運動史を研究する醍醐味だと私は思っています。社会運動の歴史を通して、日本の歴史を問い直していくことが私の研究の目的になっています。


<歴史の「断絶」の背景>

 少し専門的になりますが、これまで刊行してきた拙著『戦間期日本の社会思想 「超国家」へのフロンティア』(2010年)、『日本ファシズム論争 大戦前夜の思想家たち』(2012年)の内容をたどりながら、私の研究上の問題意識を紹介したいと思います。
 『戦間期日本の社会思想』は、日本近現代史で暗黙の前提とされてきた2つの「断絶」――満洲事変前後と敗戦――とその「断絶」を演出してきたデモクラシー対ファシズムという対立図式の再検証を目的としたものです。その足がかりとしたのが大正デモクラシー研究、日本ファシズム研究、総力戦体制論で、これらの批判を通して戦間期日本の新たな像を描こうとしました。
 本書の前半では、デモクラシーの側から対立図式を問い直すために、大正デモクラシー研究の再検討を試みました。第一次世界大戦前後の普通選挙運動が大正期日本の「民主化」を促進したとの説は今日でも不動の地位を占めていますが、本書では旧来の研究とは異なる普選運動像を提起しました。具体的には、1910年代前半の普選運動は、日露戦後に乖離した青年層の「自我」と国家を再び結びつけ、大戦下総力戦体制準備の一翼を担っただけでなく、国民の「平等」化を推し進める人種改善とともに国家の富強と文明化をもたらすものでもあったということです。
 デモクラシーとファシズムの重層性・連続性を提起したうえで、本書後半で取り組んだのが、ファシズムの側から先の対立図式を問い直すことです。このために、日本ファシズム研究の再検討を行いました。私が注目したのは、当時日本で「ファシスト」とみなされていた人々(とりわけ日本の国家社会主義者)は同時代のイタリア・ファシズム、ナチズムをどのように認識し受容していたのかということです。
 考察の結果、彼らを「ファシスト」として一括して捉えることはできず、むしろ彼らはファシズムやナチズムに批判的に論究しながら、国家制度による人間性の圧殺や、資本主義による人間の「機械化」を批判する視座を獲得していったこと、1920年代末から台頭する日本主義運動や来るべき総力戦体制に対して新たな社会変革を試みようとしていたことがわかりました。
 以上のように、デモクラシーとファシズムの境界線を改めて問い直しながら、ファシズムの異化に努め、「ファシズム」自身のなかにもファシズムを超える可能性を見出そうとしたのが本書になります。


<ファシズムとどう向き合うか>
 もうひとつの著書『日本ファシズム論争』は、前著の後半の問題意識を引き継いで、ファシズムの側からデモクラシーとファシズムの対立図式を問い直したものです。選書として、とくに大学生・大学院生に知ってもらいたいと思い、わかりやすく書きました。
 前著では日本の「ファシスト」によるファシズム、ナチズム認識を問うたわけですが、本著ではより対象を広げて1920年代から30年代末までの日本社会におけるファシズム、ナチズムの受容に注目して、日本のファシズム、全体主義について考えました。
 まず1920年代におけるイタリア・ファシズム、ナチズムの受容史を論じています。ナチズムは社会主義を名に冠していたために、はじめは否定的に捉えられ、人気はありませんでした。この時期日本で圧倒的に論じられたのはイタリア・ファシズムの方で、文学、演劇、映画の各界でムッソリーニを英雄視した作品が数多く発表され、ムッソリーニ・ブームというべき現象が起きました。実は、このブームは日本で普通選挙が実施されるのとほぼ同時期に起こっており、前著で提起したデモクラシーとファシズムの重層性・連続性をここでも確認できます。
 一方、日本自体のファシズムに注目が集まるのは1930年代に入ってからです。満洲事変をきっかけに、論壇では日本ファシズム論が数多く登場します。これらのファシズム論はいままさに出現しつつあるファシズムの素描を試みるものだけでなく、いかにしてファシズムに対抗するかという問題意識に裏打ちされたものでもありました。
 後者の運動のひとつとして、本書では、作家や知識人によって結成された学芸自由同盟の活動やさまざまな思想家・運動家の言説を取り上げています。けれども、彼らの間でファシズム認識のズレや思想的対立があったために、日本における反ファシズム統一戦線が順調に進まなかったことを描き出しました。
 もうひとつの抵抗の可能性として戦時下の全体主義論を取り上げました。全体主義はいまでもファシズムとほぼ同じ意味で論じられることがありますが、1930年代後半の日本では、むしろファシズムやナチズムに抵抗する思想として打ち出されていたことを明らかにしました。
 以上のように、本書はイタリア・ファシズム、ナチズムの受容という同時代的な位相(「越境するファシズム」)を描き出すことを通して、戦前の日本におけるファシズム概念の変遷と蓄積を明らかにし、そのうえで日本の「ファシズム」を思想史的に再検討していくことを目指したものです。
 これらの著書で描いたのは戦前の思想や運動ばかりですが、過ぎ去った出来事としてではなく、現代や未来と向き合う指標になりうるものとして、今後も研究を続けていきたいと思っています。


【略歴】
1977年、徳島県生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程研究指導認定退学。博士(人間・環境学)。京都大学大学文書館助教などを経て、2015年より富山大学准教授。主な業績に『戦間期日本の社会思想 「超国家」へのフロンティア』(2010年、人文書院)、『日本ファシズム論争 大戦前夜の思想家たち』(2012年、河出書房新社)、『満川亀太郎 慷慨の志猶存す』(2016年、ミネルヴァ書房)など。