研究室探訪

結城史郎 准教授(英米言語文化コース イギリス言語文化分野)


<アイルランド>

結城史郎 准教授
(英米言語文化コース イギリス言語文化分野)
 アイルランドはイギリスの西に位置する、北海道とほぼ同じくらいの面積の島国です。緯度は樺太ぐらいですが、メキシコ湾流に包まれているため、冬でも雪が降ることはほとんどありません。気温は5℃から20℃の間で、夏はとても過ごしやすいところです。わたしがこの国に興味を抱いたのは、大学生のころ、語学研修に参加してからです。そしてこの国の文化や文学に惹かれ、知人もでき、何度も訪れるようになりました。一日の天候も予測不可能なほど変化しますが、人々は明るく、ラテン系のような印象を受けます。話しかけられたりすると、留まることなくおしゃべりが続きます。そんな人々に感銘を受け、いつしかアイルランドに取りつかれてしまいました。みなさんも機会がありましたら、旅行していただきたいと思います。


<アイルランド文学>
 アイルランド人はおしゃべりなためか、すばらしい文学をたくさん書いています。実のところ、2010年、アイルランド共和国の首都ダブリンは、ユネスコによって「文学都市」と指定されました。エディンバラ(英国)、アイオア市(米国)、メルボルン(オーストラリア)に続く4都市目だそうです。『ガリヴァー旅行記』で有名なジョナサン・スウィフトをはじめ、『サロメ』の作者オスカー・ワイルド、あるいはW. B. イェイツ、ジョージ・バーナード・ショー、サミュエル・ベケットといったノーベル文学賞受賞者たちも、ダブリンで生まれました。
アイルランド西部のスライゴー州にあるバルベン
山。イェイツの墓はその麓にある。
 アイルランドはイギリスの植民地であったため、アイルランド人作家はイギリス文学史の流れに組み込まれてきました。ですが両者の間には深い溝があります。アイルランドは南北に分かれ、北アイルランドはいまだにUKの一部です。したがって、カトリックとプロテスタント、イギリスをめぐる独立派と連合派といったように、両国の間は敵対関係にありました。そもそも、アイルランド人の母語はゲール語ですが、いつしか英語が彼らの言語と思われるようになりました。アイルランドは言葉までも植民地化されました。ですから、アイルランド文学さえも、英語で書かれている以上、イギリス文学として扱われてきたわけです。当然なことなのですが、その文学にはイギリスへの対立が込められていることを忘れてはいけません。
 スウィフトはこんなことを述べています。アイルランド人の子供たちをジョン・ブルと呼ばれるイギリス人たちに食べてもらえば、カトリックである子沢山のアイルランド人にとって救済になると。あるいはオスカー・ワイルドはこう語っています。アイルランド人は英語で書くことにより、イギリス文学に貢献せざるをえないと。あるいはサミュエル・ベケットのように、フランス語で書き、それを英訳した作家もいます。さらには、ジェイムズ・ジョイスのように、英語を中心としながらも、日本語を含め60以上の言語で構成された作品、『フィネガンズ・ウェイク』を書いた人もいます。

<わたしの研究>
復活祭蜂起の拠点となった中央郵便局
 そんな次第で、わたしはアイルランドの作家の屈折した文学に圧倒され、その面白みを研究することになりました。そのためアイルランド、とくにダブリンを訪れることが多いのですが、その最大の理由は、アイルランドの文学が生まれる空間を知ることにあります。民族主義的な作品がある一方で、その狭隘な姿勢を自意識的に非難する作品もあります。同時に、アイルランドという国家を超え、ヨーロッパ大陸の文学に敏感に反応し、言葉に対する犀利な文学に打ち込む作家もいます。アイルランド文学といっても一枚岩ではなく、ポリフォニーな世界です。2016年は、南のアイルランド共和国独立の契機となった、まさしく1916年の復活祭蜂起の百年祭にあたります。アイルランド文学の方位を考えるよき年です。
 とはいえ、アイルランド文学は膨大で、すべて読むことなど不可能です。ですからわたしは、1890年代から1920年代までの、いわゆるアイルランド文芸復興運動と呼ばれる躍動の時代をとりあえず対象としています。国民や個人のアイデンティティなどをめぐり、歴史とからめ、さらに自分の意識と対話しながら、文学の使命について研究しています。ちなみに、偶然のことながら、中島淑恵先生のヘルン研究会のメンバーに入れていただいたため、アイルランドへの関心がさらに高まりました。富山大学はヘルン文庫を所蔵していることでも全国的に知られていますが、接近する機会はこれまでありませんでした。

<若い人たちへのメッセージ>
 わたしの研究はほとんど偶然によるところが多いのですが、しかしその偶然に対して前向きに付き合えたことが幸運であったと思います。将来の方向に漠とした想いでいる人も多いかとも思いますが、臆することなく、多くの人々や教員と話し、視野を広げ、実りある方向を探してください。学ぶことは自分探しでもあります。

【略歴】
群馬県生まれ。2009年明治大学大学院文学研究科英文学専攻博士後期課程退学。國學院大学等非常勤講師を経て、2015年より富山大学人文学部准教授。論文は “The Meaning of Stephen’s Mother as a Ghost in Ulysses.” Journal of the Faculty of Humanities: University of Toyama 64 (2016): 217-32. 「ラフカディオ・ハーンとケルト神話―異界との交流―」『ヘルン研究』(2016): 39-51. “Stephen Dedalus and Anti-Semitism in Ulysses.”『エール』第29号(2009): 73-88.などがある。