研究室探訪

鈴木晃志郎 准教授(社会文化コース 人文地理学分野)


<「専門は~です」と言えない人>

鈴木晃志郎 准教授
(社会文化コース 人文地理学分野)
 人文地理学を講じる専門家としての職能を期待され、富山大学に准教授として籍を置くことを許されている髭の男。それが、今の私です。私は社会文化講座の中にいますから、社会学・文化人類学などの周辺領域との差別化を意識しながら「人文地理学」の固有性について教育することを求められ、学生も「人文地理学者」だと思って私のところへやってきます。
 しかし、自分の過去を振り返ってみると、学部時代から人文地理学には全く興味がもてない学生でした。地理学科なのに卒論のテーマは「高齢者の生きがい感」、思いっきり社会学ですね。失礼な話、指導を受けたのも他学部の先生からだったのです。大学院に進むと今度は「頭の中の地図=メンタルマップ」に興味が移り、心理学へと急接近。認知地図研究をテーマに博士号を取得しました。そして今は、地域政策論や観光学と軒を接しながら進めている景観紛争の研究が中心になっています。統一感はありませんし、どれも人文地理学のオーソドックスな研究テーマではありません。この場で提供することを期待されている「~の専門家です」、「~に一生を掛けています」といったカッコイイ生き方からは私、最も遠い存在じゃないでしょうか。
 「なんだ、全然一貫性ないじゃん!」・・仰るとおり。ただ、私自身は一見雑多なこれらの研究テーマ、基底の部分では繋がっていると考えているのですよ。

<人文地理学とは何か>
 あなたの肉体がこの世に存在する限り、あなたは世界のどこかに身体一つ分の位置を占め、移動したり滞留したりしながら生活しているはず。幽体離脱でもしない限り、あなたの存在はその身を置いている地理空間と不可分であり、あなたの生きた痕跡はまるで指紋のように、何らかの形で地理空間上に残されていきます。日々愛用する携帯電話はあなたの一日の軌跡を絶えずログとして発信し、そのデータは携帯電話会社に貯蔵されます。車に乗ればNシステムやカーナビが同じことをやりますし、インターネットに接続すればアドレスが残ります。じゃあ、オフラインだったら?それでも、人がある土地に住めばそこに土地利用の痕跡が、買い物をすれば購買履歴やごみが、会議をすれば議事録が、活動の痕跡となって残されていくはずです。逆に、人が人であるがゆえに残すこうした痕跡を辿っていけば、「その時、その人(たち)はなぜそこにいて、その行為をしたのか」も分かってくるはず。サスペンス・ドラマで現場に日参して聞き込みをする刑事、足跡をかたどる鑑識官たちを思い出してください。人文地理学者は彼らと似ています。地理空間上に現れた何らかの痕跡を頼りに人や社会の営みの本質を探ろうとする、それが人文地理学のアプローチといえるでしょう。

<人文地理学者としての私>
 地理空間上にあらわれた現象を手がかりに人や社会、文化のありようを考えていけばいいのですから、その現象はお金の流れであっても、選挙の票の動きであっても、人のうわさ話であっても良いのです。もちろん、頭の中に記憶されたイメージとしての空間であっても、それを取り出すことさえできれば研究対象になります(外在化 externalization といいます)。そして、実はこれが私の大学院時代に取り組んでいたテーマでした。
 皆さんは日本で生活していますから、様々なランドマークが手がかりとして描き込まれカラフルに塗り分けられた地図こそが見やすく、それを頼りに目的地を目指すのも当たり前だと思うでしょう?ところが、先進国であるはずのアメリカで使われている地図はそうなっていません(図1)。
図1. 日本とアメリカの一般的な地図表現。上がアメリカで下が日本。
アメリカの地図は道路形状と通り名だけで全体が構成され、冗長な
情報が排除されている。
道路名と地番以外の情報は極力削られたシンプルな表現が一般的で、むしろ彼らはあれこれ情報が盛り込まれた日本の地図が冗長にみえるというのです。私はガイドブックを手がかりにこの違いを検証し、異なる文化に属する人々が同じ地理空間をいかに異なった捉え方でみてしまうかを確かめようと考えました。その結果、この違いは、日ごろ慣れ親しんでいる日本とアメリカの住所表示システムの違いと対応するものであるらしいことが分かってきました。つまり人の心や認識は、それらを取り巻く地理空間や社会的文脈から独立して存在しているわけではなく、実際にはきわめて状況依存的なものなのですね(この立場を構成説 Constructivism といいます)。

 背景を異にする人々は、同じ地理空間をみてもまるで違う受け止め方をしてしまう。見方、捉え方を異にするそんな人々が、群れあって生きているのが現実の社会です。時にその思惑は交錯し、愛も生まれれば喧嘩も起きるでしょう。愛が生まれて子孫ができれば、その営みは人口の増減となって統計データに現れます。こうなれば人文地理学の対象ですね。では逆に対立が起きた場合はどうでしょう?それぞれの人が訴えるメッセージに耳を傾けることで対立が生じたきっかけを知り、それを乗り越えて和解や合意に結びつけるヒントを得ることができるかも知れません。そしてこれが今、私の取り組んでいる研究テーマです。
 公共事業をめぐって地域内に不協和が生じてしまった広島県福山市の景勝地『鞆の浦』と、再生可能エネルギー(太陽光発電)施設の立地をめぐって地域内に葛藤が生じつつある山梨県北杜市。この二箇所をフィールドとし、景観紛争をどう読み解き、どう軽減していけばよいのかという課題に、私はいま取り組んでいます。全ての問題を一挙に解決する万能の処方箋はありません。しかし景観をめぐる対立の形成プロセスについては多くの知見が示されています。その中でも私は特に、NIMBY:質を異にする人・施設が同じ地理空間内に共存する状況で、「異質だ」と見なされた対象に向けられる、ネガティブな感情・態度)に注目して研究を進めています。
図2. 公共事業に賛成・反対する理由としていくつかの項目(ア~サ)を用意し、
これを公共事業への態度で4群に分類した結果。事業推進派と反対派には、
各項目に対して正反対の論拠が示されたが、強硬な立場の人々はいずれも
強く賛同した(鈴木2014a)。
写真1. 同じ鞆の浦に住みながら、ひとつの公共事業に対して正反対の見解を掲げる住民たち。
その立場が強固であればあるほど、反対派の主張は強く退けられていく。
 「化物の正躰見たり枯尾花」(横井也有)は、あなたも聞いたことがあるでしょう。異質なものに出くわしたとき、人はそれに対する無知や無理解、怖れや嫌悪から、「化物」のレッテルを貼って退けようとしてしまう。この心のメカニズムが紛争を生み出す一つの要因になるのです。鞆の浦の調査でも、公共事業に対して強硬に賛成している人と反対している人に、それぞれ賛成・反対の論拠をリバース・クエスチョンにして示してみると、彼らは同じ項目に対して述べられた正反対の論拠に対して、それぞれ強く賛同しました(図2)。賛成にしろ反対にしろ、その主張が強硬でない人にはこの傾向がみられません。これはちょうど、反転して映っている鏡の向こうの自分に対して戦っているのと似ています(写真1)。相手の側から見ると、自分の主張もまた鏡像なのだということを理解することで、乗り越えられる葛藤もあるということです。

 人文地理学は、地理空間上にあらわれた現象を手がかりに人や社会のありようを考えます。そうした現象の中には、国や地域間の人口移動のように、巨視的に捉えるほうが全体像を正しく把握できるものも少なくありません。しかし、一見大掛かりな現象も、元を辿れば一人の人間の小さな意志決定が積み重なってできたものです。一見すると、あちこち拡散しているように見える私の研究テーマですが、現象を構成する人々の選択や意志決定、イメージのレベルにまで降りたち、地理空間上にあらわれた現象をそれらミクロな要因の集積として捉えようとする点においては共通していることに、賢明なあなたはもうお気づきでしょう。

<未来を担う皆さんへのメッセージ>
 不惑を過ぎた今、こうして来し方を見つめ直す機会をいただいたことで、自分は他の先生方のように研究者として一つの道を究める求道者のようなタイプではないらしいということを思い知らされています。三つ子の魂百までとはよくいったものです。けれど、まさに今生じつつある新たな課題に対して、たちどころに多様な観点から捉え理解することのできる自由な発想力と広い視野、自らの理解に根拠を与えるための多様な分析スキルを身につけられたのは、教科書的な専門の枠にとらわれず様々な分野の知見を貪欲に吸収し、それらを使いこなす訓練を重ねてきたお陰だと思っています。
 「人文学部」が対象とする人文科学はその名の通り、自然科学や社会科学と並んで、人間の知的領域の3分の1に及ぶ広大な世界。あなたにその用意さえあれば狭いディシプリンに囚われず、いくらでも隣接分野の知恵を借り、知的想像力の翼を広げることが許されるところです。長い人生で、4年間もその自由が与えられるのは大学生だけ。右顧左眄大いに結構!若者らしく、大いに悩んで惑いましょう。こうして不惑のレッテルを張られ、それが許されなくなってしまう前に。


【略歴】
2004年、東京都立大学大学院理学研究科にて博士号(理学)取得、同大助教、カリフォルニア大学サンタバーバラ校客員研究員を経て、2010年より富山大学人文学部准教授。主な最近の論文に「住民意識にみる公共事業効果の『神話』性とその構成要因」(2014a, 歴史地理学56(1): 1-20),「ダークツーリズムの視角からみたジオパーク、ジオツーリズムの可能性」(2014b, E-Journal GEO 9(1): 73-83),「NIMBYから考える『迷惑施設』」(2015a, 都市問題 106(7): 4-11),「ユネスコの追加勧告にみる富士山の世界文化遺産としての課題」(2015b, 地学雑誌 124(6): 995-1014)=いずれも単著。
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