研究室探訪

坪見 博之 准教授(心理学コース 心理学分野)


坪見 博之
(人間科学講座 心理学コース 准教授)

<こころと脳>
 私は「こころと脳」の関係に興味を抱き研究を始めました。私たちのこころは脳が活動することによって生じます。例えば、何かが見えるとはどのようなことでしょうか。視覚的な意識は、光が網膜の視細胞に吸収され視神経を伝わり、大脳の視覚野が活動したときに生じます。何かが聞こえるのは、耳から取り入れられた音が蝸牛基底膜を振動させ、聴神経を伝わり大脳の聴覚野が活動するからです。しかし、光や音をきっかけに脳が活動したとき、なぜ非物理的なこころが発生するのでしょうか。このことが私の疑問でした。この疑問を持ったのは私がはじめてではなく、哲学では心身問題として長い間考えられてきました。特に興味を持ったのは、17世紀に活躍したデカルトの心身二元論という考え方でした。二元論は、世界や事物は「物理(もの)」と「精神(こころ)」の二つの実体から構成されるという考え方です。この考え方を知ったときに、私は大変なことだと思いました。私はそれまで、高校でも習うような理科的な分析を進めれば、いずれ世界全体について理解できるのだと漠然と考えていました。しかし、デカルトの二元論に基づくと、「もの」をいくら隈なく調べても、それは世界の実体の半分を調べているに過ぎず、「もの」とはまったく別の「こころ」という実体が世界に存在することになります。

<易しい問題と難しい問題>
 この心身問題についてはさまざまな説明の方法があり、現在でも最終的な答えはありません。チャルマースという現代の哲学者は、なぜ脳からこころがうまれるのかは「難しい問題(hard problem)」であると考えています。一方で、こころがどのような脳活動によって生じているのかを調べることは「易しい問題(easy problem)」であると考えました。「易しい問題」については、現時点では不明であっても、地道に観察を重ねていけば解決されることなので、解きやすい問題であるとされました。実際、私が大学に入った1990年代の後半は脳科学が急速に発展し、身体を傷つけることなく生きた人の脳活動を観察することが可能になった時期でした。そのため、知覚や認識の心的機能がどのような脳機序を持つのか次々と明らかになり、活気と期待が生まれ始めたころでした。脳科学はその後も順調に進展し、現在では感情や社会性といった高次な心的機能の脳機序までもが明らかになっています。ただし、Chalmersの考えによれば、それは「易しい問題」が明らかになっているに過ぎません。「易しい問題」が解決された後でもなおかつ謎として残されるのが「難しい問題」であり、すべての心的体験を脳の神経活動として対応させたとしても、依然として、物理的な脳がなぜ非物理的なこころを生み出すのかは分からないといいます。

<意識の制約>
 私は、なぜ脳が活動するとこころが生じるかに興味を持っていたので、Chalmersの言う「難しい問題」に取り組んでみたいと思いました。しかし、「難しい問題」は難しいだけあり、なかなか糸口がないような気がしました。
 そのような中で心理学の講義や実習を受けるうちに、「易しい問題」ですら易しくないことが分かってきました。こころがどのような脳の活動から生じるのか対応関係を取ることは易しい問題であり、地道に調べれば可能となるはずです。ただし、それが易しいように見えるのは、自分のこころについては分かり切っていると思っているからです。たまには錯覚によって騙されることもあるかもしれないが、こころはおおむね外界を正しく映している、というのが私たちの素朴なこころの見方だろうと思います。だからこそ、自分がよく知っているこころを脳活動と対応させることは「易しい問題」である気がするのです。

 しかし、私たちのこころは、素朴に考えるものとは大きく異なっています。例えば上の二枚の写真を比べて、どこが異なっているかをすぐに見つけることはできません。これは、私たちの視覚的な意識が空間的な容量の制約を受けているからです。私は最近の研究で、目の前に物体が存在するときでも意識的に報告できる容量は、物体3つ程度であることを見つけました。もし私たちが直感通りに、目の網膜に投射された光のすべてを意識できているのなら、このようなことは生じません。私たちの直感と実際の意識との間には大きなズレがあるようです。私は、このことは非常に重要であると感じました。なぜなら、誤ったこころの見方や意識観に基づいて「難しい問題」に挑んでも、誤った結論しか導き出せないからです。反対に、これまでは「易しい」と考えられてきたこころや意識について検討をおこない、実際にはどのようなものであるのかを明らかにすれば、こころと脳の「難しい問題」について考えるときに役に立つのではないかと考えました。
 なぜ私たちは、目の前に物体が存在していても意識的には3つ程度の物体しか報告できないのでしょうか。脳波計を使ってさらに調べると、視覚情報を処理する脳の後頭部から現れる脳波は、下の図のように、観察する物体が3つ程度になると活動が飽和することが分かりました。研究を進めるうちに、私たちは3つ程度の物体しか報告できなくとも、なぜすべてを見ているように感じるのだろうかと新たな疑問も生じて、現在はこの問題について、行動計測と脳波測定を用いて研究を進めています。Chalmersによると、私が現在取り組んでいるのは「易しい問題」の方ですが、研究を積み重ねて「難しい問題」を解く手がかりにすることが、私の遠い目標です。

<人文学と脳とこころ>
 私は研究の中で脳を扱います。また、こころを調べるために行動計測も行います。すると「人文学部で脳を扱うのはめずらしい」とよく言われます。脳計測や行動計測のためには数学や理科的な知識も必要で、「なんだか難しそうだ」と嫌厭されることもあります。しかし、私の疑問はごく哲学的な疑問から生じたものです。文科だから理科的な計測をしていけないことはありません。同じように、理科系だからといって哲学的な問題を扱っていけないこともありません。文科理科と境界を引いて、問題解決の手段から締め出すことはもったいなく、必要な方法を用いることが大切だと思います。多くの学生が自分なりの興味を見つけ、文科理科の区分けなく進んでいってほしいと思います。

【略歴】
広島県生まれ。2007年京都大学大学院文学研究科にて博士号(文学)取得後、東京大学先端科学技術研究センター特任助教、米国オレゴン大学客員研究員を経て、2012年より富山大学人文学部准教授。主な最近の論文に「Neural limits to representing objects still within view」(Tsubomi, H., Fukuda, K., Watanabe, K., & Vogel, E. K. 2013. The Journal of Neuroscience, 33, 8257-8263)。主な著書(分担執筆)に「視覚性ワーキングメモリの容量と注意制御」(2013年、注意をコントロールする脳、67-92、苧阪直行(編)、 新曜社)。
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