研究室探訪

呉人 惠 教授(言語学コース 言語学分野)


呉人 惠 教授
(言語学コース 言語学分野)

<今、世界の言語は?>
 世界では今、およそ6000から8000の言語が話されているといわれています。私たちの母語である日本語はそのなかで8番目に話し手の数の多い大きな言語です。ところが、このような大きな言語は全体のわずか数パーセントにすぎず、話し手の数の非常に少ない小さな言語が残りの大多数を占めています。そして、そのような小さな言語の多くが、一説では「最悪のシナリオでは、21世紀中に世界の95%の言語を失う方向に向かう」ともいわれる言語の衰退の流れのなかで、消滅の危機に直面しているのです。

<コリャーク語に出会う>
 私自身がこれまで研究してきたコリャーク語も、そのような消滅の危機にさらされている言語のひとつです。コリャーク語はシベリア北東部、カムチャツカ半島の北部を中心に話されている話し手3000人足らずの言語です。子供たちはすでにコリャーク語を母語として習得せず、ロシア語化してしまっているため、この言語の未来への継承の道は断たれてしまっています。
 私がこの言語を研究してみようと思ったのは、今からかれこれ20年近く前です。数ある言語の中からコリャーク語を選んだのには、理由があります。なによりも、固有の文字を持たず、したがって音声を聞き取るところから始め、一からその輪郭を描いていかなければならないような未知の言語に取り組みたかったのです。なかでも、旧大陸にありながら新大陸の言語ともよく似た特徴を持つと言われているコリャーク語の出自や成り立ちに、私は好奇心をおおいにそそられました。
 こうして私は、日本から飛行機やらプロペラ機、ボートやトナカイ橇を乗り継いで何日もかけなければたどり着けないツンドラの僻地に、コリャーク語を求めて通い続けることになりました。トナカイ遊牧を営むコリャークの生活の現場で、冬には凍てつく寒さに、夏には蚊の猛攻撃と悪戦苦闘しながら、それでも生きたコリャーク語の記述にこだわってきました。

<なぜ、フィールドワークをするのか?>

トナカイ橇はコリャークの重要な移動手段
 日本のように便利な国で暮らしながら、なにを好きこのんでシベリアになど出かけて行くのだろうかと思う方もいるかもしれません。確かに、今はインターネットに繋ぎさえすれば、いながらにして世界中の言語についての情報を入手することもできます。しかし、ことばの研究は、「百聞は一見にしかず」ならぬ、「百は一にしかず」なのです。一筋縄ではいかない生きた言語に耳を傾け、その一見、混沌とした摩訶不思議の中からある美しき法則性を探り出していくことこそ、百の書物を渉猟するよりも、言語学にとっては本質的なことです。現代言語学の第一人者であるR.M.W.ディクソンは言います。「フィールドワークをしない言語学者は、動物図鑑かせいぜい動物園の檻を通してある動物を観察しただけで、その動物とはなにかを語る動物学者に等しい」と。
 近年、言語学はその裾野も飛躍的に広がり、多くの下位分野が現われ、分業化も進んできました。ことばの音声を専門とする人、文法を専門とする人、意味を専門とする人など。もちろん、それぞれの分野は専門とするのに足るだけの複雑さや豊かさを持っています。ただ、私自身は言語研究というものを、もう少し違う観点から見てきたように思います。ことばというのは、音声、文法、意味など複数のレベルが複雑かつ精緻に絡み合った総体です。したがって、ある言語の全体像を理解しようとするならば、それらのどのレベルに対してもバランスの取れた目配りが不可欠だと思うのです。その意味で、固有の文字を持たず、なおかつ、研究があまりおこなわれていないコリャーク語は、私にとっては理想的な言語だったのです。
コリャークのトナカイ遊牧地で
(左から3番目が私)

<これからの抱負は?>
 かれこれ20年近くコリャーク語に取り組んできて、その輪郭も少しずつわかってきました。また、フィールドワークを通して、コリャーク語そのものの仕組みだけではなく、コリャーク語とその背景にある文化との関連性についても、多少なりとも思いを巡らせてきました。さらにここ数年は、これまでに得たコリャーク語についての知識をもとに、コリャーク語を世界の様々な言語と比較する仕事にも携わっています。それにより、言語学の世界で少しはコリャーク語が認知されるようになったかもしれません。しかし、改めて思うことは、私がこれまで知りえたのは、まだまだコリャーク語という氷山の一角にすぎないということです。たとえば、今、私はフィールドで採録した民話や語りの分析をしていますが、ひとつひとつの文を丁寧に見ていくと、次から次へといろんな疑問が湧いてきてとどまるところを知りません。そんな時、つくづく思います。取り組みがいのある研究に出会えて本当によかったなあと。そしてまた、そのような不思議に充ち満ちたひとつの素晴らしい言語が、誰にも知られることなく朽ち果ててしまうなんて、なんと残念なことだろうと。ある言語学者によれば、ひとつの言語を研究し尽くすには、100年はかかるそうです。それほど言語というのは、豊かな存在であり、また人の安易な一般化を拒む複雑怪奇な存在でもあるのです。話し手の数が多い日本語のような言語であろうと、逆に少ないコリャーク語のような言語であろうと、そのことに違いはありません。
 どう逆立ちしてもコリャーク語を研究し尽くすことはかないませんが、これまでの成果とこれからの成果を統合した『コリャーク語文法』を完成させること、それが目下、私の最大にして最難関の目標です。

<若い人たちへのメッセージ>

トナカイの群れで働くコリャークの少女
 大学は、主体的な勉強ができる場所です。自分自身の心の声に素直に耳を傾け、本当に好きでしかたがないテーマを見つけてください。時には、「私の好きな~~はとても研究には結びつかない」と匙を投げたくなるかもしれません。しかし、皆さんが日々、疑問に思っていることは、そのつもりになればすべて研究対象になるのです。そして、疑問と研究をなかなか結びつけることができずに困っている時のためにこそ、我々教員がいるのです。皆さんが本当にやりたいと思うことが、大学での学びに繋がっていくように、私たちは協力を惜しみません。なぜなら、面白いテーマを見つけ、生き生きと学んでいる学生の姿に接することこそが、私たち教員の喜びでもあるのだから。
 さらには、専門の勉強だけでなく、部活やサークル、ボランティアやアルバイトなどを通してもたくさんの「好きなこと」に出会ってください。そのことが、なによりも皆さんの一番大切な生きる糧になるはずです。

【略歴】
山梨県甲府市に生まれる。東京外国語大学大学院外国語学研究科修了。北海道大学文学部助手、富山大学人文学部助教授を経て、現職。博士(文学)。著書:『モンゴルに暮らす』(岩波書店、1991年)、『危機言語を救え!―ツンドラで滅びゆく言語と向き合う』(大修館書店、2003年)、『コリャーク言語民族誌』(北海道大学出版会、2009年)。訳書:『怒れる神との出会い―情熱の言語学者ハリントンの肖像』(三省堂、1992年)。編著:『日本の危機言語-言語・方言の多様性と独自性』(北海道大学出版会、2011年)。