中州


  大学への通勤の途上では必す神通川にかかる橋を渡る。橋の下の東岸は以前はゲートボール場になっていたが、川が増水するたびに土が流されて使えなくなってしまうので、富山市も管理をあきらめたのか、今はただの荒れ地になっている。ところが川の中州は青々と木が生い茂り、橋の半ばまで渡ると、様々な鳥のさえずりが聞こえてくる。命あふれる自然とともに自分も生きていることを実感する至福のひとときである。
  台風や大雨で川が増水すると、中州も水につかり、水が引けば木も草もすっかり泥にまみれて惨憺たるありさまを見せるが、もののひと月もしないうちに、元通り命のさざめき合う姿を取り戻してしまう。水一つで隔てられたこの世界では、外界のせわしく過ぎていく時間とは異なる、永劫回帰の時間がゆったりと流れているのであり、四季折々の変化を果てしなく繰り返すこの中州を見るにつけ、自然の営みの悠久を思わずにはいられない。
 川の中州というと思い出すのが、六朝・宋の山水詩人謝霊運の代表作「登江南孤嶼(江南の孤嶼に登る)」である。
江南倦歴覽 江の南は歴覧するに倦み、
江北曠周旋 江の北は曠(ひさ)しく周旋す。
懷新道轉迥 新しきを懐(おも)いて道は転(うた)た迥(はる)かに、
尋異景不延 異(めずら)しきを尋ねて景(ひ)は延(なが)からず。
亂流趨正絶 流れを乱(わた)りて正絶に趨(おもむ)けば、
孤嶼媚中川 孤嶼は中川に媚(うるわ)し。
雲日相輝映 雲と日と 相輝き映え、
空水共澄鮮 空と水と 共に澄み鮮かなり。
表靈物莫賞 霊を表すも物の賞(め)ずる莫く、
蘊真誰為傳 真を蘊(つつ)むも誰か為に伝えん。
想像崑山姿 想像す 崑山の姿、
緬邈區中縁 緬邈(はるか)なり 区中の縁(けがれ)。
始信安期術 始めて信ず 安期の術の、
得盡養生年 養生の年を尽くすを得るを。

――永嘉江の南は見て回るのも飽きてしまい、北も長い間回り巡った。新しい風景を思うと道はいよいよ遠く、珍しい風物を訪ねていっても日は長くない(すぐに日が暮れてしまう)。河の流れを横切って中州に向かうと、孤島は川の中に美しい。雲と日とが互いに照り映えて、空も水も澄み渡って鮮やかである。神が現れんばかりのこの風景もめでる人とてなく、この美しさの中にこそ真実が隠されているのに、誰がそれを伝えようというのか。(この世のものとも思えない眺めに、神々の住むという)崑崙山の姿を想像すると、俗世間の汚れも遥か遠くのことになる。仙人安期生が心身を養って長寿を全うできたというのも、(このような場所があるのなら)むべなるかなである。
 ここでの中州は「正絶」と表現されるように、周囲の世界とは全く隔絶された世界である。それはただ物理的に隔離されているだけではなく、中国の西方にあって神々が天と地を往来する通路とされた伝説の山・崑崙山のように、容易には近づけない楽園の性格を持つものであり、そこでは当然外界とは違う永劫回帰の時間が流れている。故に仙人安期生のように不老長寿を得ることもできるのである。人間の営みにはかかわりなく生命の循環を永遠に繰り返す中州に、謝霊運も永遠の時間を見出したのであろう。
 川の中州が登場する詩をさかのぼれば、最初に来るのはやはり『詩経』周南の「関雎」であろう。
關關雎鳩 関関たる雎鳩は、
在河之洲 河の洲に在り。
窈窕淑女 窈窕たる淑女は、
君子好逑 君子の好(よ)き逑(つれあい)なり。

参差荇菜 参差(しんし)たる荇菜は、
左右流之 左右に之を流(と)る。
窈窕淑女 窈窕たる淑女は、
寤寐求之 寤(さ)めても寐(い)ねても之を求む。

求之不得 之を求むるも得ず、
寤寐思服 寤めても寐ねても思い服(した)う。
悠哉悠哉 悠なる哉 悠なる哉
輾轉反側 輾転反側す。

――クヮンクヮンと鳴くみさごは、川の中州にいる。(いつもつがいでいるみさごのように)たおやかなよき乙女は、君子のよいつれあいである。
 ふぞろいなあさざは、右に左に摘み取る。(そのように)たおやかなよき乙女は、寝てもさめても求め続ける。
 (よき乙女を)求めても得られず、寝てもさめても思い慕う。はるかなはるかな我が思いよ、寝返りを打って夜もすがら。
 この詩でうたわれる雎鳩(みさご)は、いつもつがいでいるとされ、仲むつまじく結ばれるべき君子と淑女を暗示するものである。では雎鳩はどうして河の岸ではなく河の「洲」にいるのであろうか。
 『詩経』で中州が出てくる詩はもう一首、小雅の「鼓鍾」がある。その第三章を挙げる。
鼓鍾伐鼛 鍾(かね)を鼓し鼛(つづみ)を伐(う)つ。
淮有三洲 淮に三洲有り。
憂心且妯 憂心且つ妯(うご)く。
淑人君子 淑人君子、
其德不猶 其の徳は猶(ひと)しからず。

――鐘を鳴らし太鼓を叩く。淮の川には三つの中州がある。心は憂えかつ揺れる。私の良き殿方は、たぐいなき徳をお持ちだった。
 漢の毛亨の注である毛伝では、この詩を周の幽王が淮水のほとりで諸侯を会した時、淫らな音楽が奏されたのを賢者が嘆いた詩と解するが、近年では舞楽を奏でつつ故人をしのぶ詩と解されることが多い。『詩経』では「君子」が女性から見た恋人を意味することも多いので、いま妻が亡き夫をしのぶ歌と解した。
 この二首を比べてみれば、中州の意味するところがおのずと明らかになってくる。「関雎」での「洲」はなかなか得られない淑女を歌い出すものであり、「鼓鍾」での「洲」はもはや会うことのかなわない故人を歌い出すものである。「洲」に到達し得れば、すなわち淑女を得たり、故人と再会したりできれば、永遠の理想の状態となるが、そこへ到達するには激しい水を渡らなければならない。「洲」はそこに見えているけれども到達できない理想の状態を象徴するものと考えられよう。謝霊運の詩に見たような、中州に外界とは別の時間が流れる理想郷を見る意識は、『詩経』の頃から既に萌芽していたのである。
 今わずか三例のみを挙げてみたが、中州に対する詩人の意識は、なお考究する価値のある問題と言えそうである。
 神通川は日々滔々と流れ、中州は今日も変わらず鳥がさえずり、草の香りと涼気が漂ってくる。人間(じんかん)の喧噪をよそに、果てしのない時間がたゆたっている。

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