倉橋由美子1)『偏愛文学館』2)

 

 倉橋由美子は筆者(Wunderkammer 管理人)の偏愛する作家の一人である。その作家が自身の偏愛する古今東西の文学作品を紹介してくれるという、ファンにとってはまたとない1冊であるが、ファンでない人たちにも、小説を読む喜びを教えてくれるすぐれたブックガイドとしてぜひお薦めしたい。

 

 へそ曲がりが愛好する作家、その作家のお薦めの作品となれば、いかにも奇妙なものが並ぶのでは、と危惧される方もあるかもしれない。しかし、そんな心配はご無用である。36名の作家とその作品が紹介されている本書のトップを飾るのは、夏目漱石(ただし推薦されるのは『坊っちゃん』や『明暗』ではなく『夢十夜』)である。そして、森鷗外谷崎潤一郎川端康成が続き、壺井栄の『二十四の瞳』や宮部みゆき『火車』もラインアップされているのだから。3)

 

 海外からは、蒲松齢、蘇東坡、トーマス・マン、フランツ・カフカ、カミュ、ジャン・コクトー、サマセット・モーム、ジェーン・オースティン、サキ4)、パトリシア・ハイスミスといった作家が取り上げられている。5)

 

 読んだことのある作品ならば、著者はこう読むのかと感心し、未読の作品であれば、ぜひすぐにでも読んでみたいという気にさせる書評が並ぶ。「作家のプロとしての力量を知るには短編を読むのが一番です。それに読んで楽しく、冴えた料理のように味わえる小説といえば短編に限ります」(132ページ)ということで、取り上げられた作品は短編が多い。短編小説は一品料理にたとえられ、練達の料理人のあざやかな手さばきが高く評価される。

 

 言語による芸術作品と、芸のない単なる文の連なりとの境界線はどう引くのか。著者は昨今の小説の文章に対してかなり批判的である。6) 文学作品にとっては、何が書かれているかと並んで、どのように書かれているかが実はおおいに問題であるのに、私たちは素材の新しさばかりに目を奪われる傾向があるようだ。

 

この書評集は、そんな私たちがもったいなくも見逃していた文学の名品へと案内してくれる。そんな美味な料理が身近にあったというのに、新製品というだけで特においしくもないものを食べていたということに気づく人もきっといるだろう。あるいは、名物にうまい物なし、とばかりに敬遠していた文豪の魅力にあらためて気づく人もあるかもしれない。

 

海外作品もここで取り上げられているのは、すべて翻訳で読めるものばかりである。ときに翻訳の文体が賞賛されている場合すらある。本書は、翻訳物も含め日本語で文学を読める喜びもあらたにしてくれる。

 

 最後に蛇足ながら、著者本人の作品はもちろん取り上げられていない。著者の訃報に接して筆者は『パルタイ』『聖少女』などを読み返してみたが、作品にちりばめられた比喩の面白さにときに笑いを誘われるほどだった。かつて二十代の頃に読んだときには気づかなかった魅力を発見したような気がした。再読に耐えるか否か、読むたびに新しい発見があるか否かは、周知の名作試金石である。

 

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1) くらはし・ゆみこ、1935年、高知県生まれ。2005610日に急逝した(享年69歳)。

2) 2005年7月、講談社より刊行。サン=テグジュペリ『星の王子さま』(宝島社)の翻訳とともに、死後の刊行となった。

3) 日本の作家で取り上げられているのはこの他、岡本綺堂、内田百閨A上田秋成、中島敦、杉浦日向子、太宰治、吉田健一、福永武彦、三島由紀夫、北杜夫、澁澤龍彦。

4) サキについての評は次のように始まる。

 

作家という人種には二通りのタイプがあります。一つは、人間は善良で賢明ですばらしいもの、信頼すべきもの、という思い入れをもっているタイプ、もう一つは人間をありのままに見るタイプです。ありのままに見た人間は、その大半が愚かしくて滑稽なものです。そして善良だと思われているのは大体が愚かしさの要素の多い人間で、賢さの要素が多少とも勝っている人間はちょっぴり悪人に見えます。しかし賢愚といっても本当は五十歩百歩で、人間のやっていることは所詮愚行のからみあいにすぎないと見るのが第二のタイプの作家で、サキもその一人です。このタイプの作家の中にこそ読むに足りる人がいて、しかも多くは短編の名手です。モームしかり、モーパッサンしかりで、このサキも、さまざまな愚行から材料を切り取り、残酷、恐怖、皮肉で味つけして一品料理に仕立てることにかけては第一級の料理人です。 (144ページ)

 

5) 海外の作家で取り上げられているのはこの他、ジュリアン・グラック、ジュリアン・グリーン、マルセル・シュオブ、ジョン・オーブリー、ラヴゼイ、イーヴリン・ウォー、ジェフリー・アーチャー、ロバート・ゴダード。

6) ジュリアン・グラック『アルゴールの城にて』についての評の中に、次のようなくだりがある。

 

今日では、普通の人は本を読まず、手紙その他の文章も書かず、読んだり書いたりするとしても、文章らしい文章は敬遠して、しゃべるように、あるいは携帯電話のメールのように書き、またそんなスタイルで書かれたものしか受けつけないようになっています。小説もそんなスタイルで書かれ、それが読まれるというわけです。しかし私は、メールのやりとりみたいな文章で「ぼくは……」「わたしは……」調で書かれたものなど、小説だとは思っていません。これが私の抜きがたい偏見です。 (81ページ)

 


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