「ある娼婦の生涯」第五図についての解説から


 

【死に瀕しているモリーのかたわらで、二人の医者が言い合いをしています】

 しかし信頼できる言い伝えによれば、いくらか肉体的で腹の出っ張った方はドイツ人で、もう片方、より精神的で腹のへこんだ方はミソーバンという名の革命前のフランス人だと言われている。この者たちの経歴については、お話しするには及ばないようないくつかの取るに足らぬことしか伝わっていない。すなわち前者はしばらくの間ハンブルクのファルガチュの一座で道化役をつとめていたが、人間の頭蓋骨を原料にして歯磨き粉を作ったために追われる身になり、追手をまくためにロンドンへと逃げてきたという話だ。そしてしばらくそこで人の生死にかかわる仕事にたずさわっていたが、最後には縛り首にされた。人殺しの廉という。もしそれが本当なら、それは医療行為によるものではないのだろう。なぜならばイギリスでも医者は他の国々と同じく、「下剤を投与したり、瀉血を施したり、あるいは死なせる特権」を享受しているからである。従ってそのようなことがあり得たならば二つの可能性しかない。一つは、この男は認可を受けた医者ではなく、単なる民間施療師で、そのため違法な治療行為のゆえに縛り首になったというもの。もう一つは、医療用ではない器具を用いて人を死なせたというものである。十年か十一年前に、ロンドンの高名な医者であったマゲニス博士がこれと同じ理由で絞首台にあげられかかったことがあった(そのうえ教会からも罰を受けたが、後に許された)。博士は、家主を墓地へと送り込んだだけなのである。ただその際に水薬や粉薬ではなくパン切り包丁を用い、それを患者の体に突き立て、つまり薬種商をないがしろにしたので、人々から厳しい目で見られたのである。

一方のミソーバン先生は好人物ではあるのだが、ただある種の粉薬と丸薬について誇大な考えをもって、自宅にその製造工場を構えた。その丸薬ときたら鹿用散弾の経口版といったところであった。顧客に死神が迫ると、先生は散弾を充填するように患者にそれを投与し発射するのである。このようにしてミソーバン先生は何年にもわたって、考えられる限りのあらゆる病気を相手に小競り合いや大合戦をした。彼の勝利を伝える公式記録はないが、大小の砲によるはなはだしい損害については定期的に「週間死亡統計」に見ることができた。聞くところによると、この立派な男は嘲られて(というのも、功労には嘲りがつきものではないか?)名前のミソーバンMisaubinをもじってMice-Aubinというあだ名で呼ばれていたという。「白ネズミ」というほどの意味である。なぜならこの好人物は、他の者が功成り遂げてのらくらすごすような晩年になっても、ときおりドブネズミやハツカネズミを用いて実験をしていたとうわさされるからである。このあだ名は辛辣で、ガツガツした感じを与えるが、そうでなくてもやせた祠のネズミと同じ肥満状態を示しているこの哀れな悪魔にはぴったりのものであろう。同胞のパン入れ戸棚へネズミのような攻撃をしかけるのは、疑いもなくひどい不正行為であるが、この先生はいったいそんなにも不正な行為を本当にしたのだろうか? 患者の往診ができなくなった後も粉薬はまだあったので、先生は診察室を訪れる人があるとその人たちで試していた。世の中では起きがちなことである。いかにしばしばウズラやシギに浴びせるはずの銃弾が、家路の途上でスズメやコウモリに向けてはなばなしく発射されることか。退屈しのぎのためや、腕前を見せびらかせようとして、あるいは他にましな獲物がいなかったなどの理由で。そして医学の領域でも、小さな獲物狩りは縁のないことではなかろう。疥癬虫、真田虫、回虫、それに旋毛虫。どんなものにも格付けがある。それで、『ジル・ブラース物語』を著した気のきいた作家が「より高度の医術を施す」と書いたとき、この種のこと、つまり大物猟から虫退治までを念頭に置いたにちがいない、と私は確信している。

 

【画面手前左側の婦人は、モリーの臨終にあたってきわめて現実的な対処の仕方を示しています】

臨終のシーンのはす向かいでは、ちゃちな略奪――少なくとも掴もうとして手を伸ばしているのは確かである――のシーンがすぐれて対照を見せている。一人の年配の婦人が、かつてこの娘の行儀作法指南役のようなことをしていたのか、あるいは笑いの止まらない遠縁の女相続人か、あるいは、これが一番ありそうだが、下宿のおかみで、おそらく家賃その他の経費が滞っていたのを娘のわずかばかりの持ち物で補填しようというのか、少なくとも自分の気を落ち着かせようとしてか、娘の財産を確認しているのである。死にゆく娘のあえぎ、口論中の医者先生方のシュッシュッ、ハアハアいう声、さらには鍋がふきこぼれて火がたてている音も、このおかみには気にならない。彼女は承知しているのである。人間は死ぬものであり、医者は口論するものであり、そしてまた、ふきこぼれた鍋を再び満たすためにも、ぎっしり詰まったトランク以上に効果的で確かなものはないことを。もしこの下宿のような凶状持ちの巣窟で計算を間違えまいとするならば、そのためにはこんな顔つきにならざるを得ないのである。これは意志による聴力障害を真に示した図といえる。

 

【画面手前右端には椅子のようなものが見えます。これをきっかけに、リヒテンベルクはしばしのあいだ椅子の説明に熱中します。このような「おおいなるわき道それ」は彼の解説の特徴の一つと言えます】

家具の帝国――私の知る限り、この帝国には今にいたるまでリンネのような騎士が現れていない――においては、椅子階級(classis sellarum)は格段に尊敬すべきというだけでなく、もっとも広範囲に存在する階級である。あらゆる地方で繁栄しているのみならず不可欠なものともされている。一言で言うなら、椅子は家具の中で、生きとし生けるものすべてにおける哺乳類に相応する存在なのである。もちろん、各々の椅子の間には形や重さの点で大きな相違があるが、それは哺乳類の場合もまったく同じで、例えば住人こみでの人家の何軒分もと同じほどの重量のあるクジラから、体重わずか三十グレーン(約一・八グラム)のシベリア産のトガリネズミまでいる。だがすべての哺乳動物は、子に授乳するという点では共通している。同じようにすべての椅子も、身体の非常に尊ぶべき部位を支えるという任務に主としてたずさわる点では共通している。椅子には背もたれや肘掛けがついているのもいないのもあるが、それらすべてを含めた通常の椅子以外でこの階級に属するものとしては、まず第一に玉座と司教座が挙げられる。前者は、ご承知の通り世界を支配するものであり、後者は腕の良い指物師によって一つにまとめ上げられて「聖座」(教皇庁)と呼ばれるものを形作った。重苦しい安楽椅子ともいうべき裁判官席も椅子であり、この世の最初の玉座のいくつかはこれの仲間といわれる。軽やかなベルジュール(フランス風の安楽椅子)もかなりの数の玉座や司教座と結びついている。次は長椅子の一族で、これは椅子の連なり以上のものではない。ここに属するのは、講堂の貴族席に学者席、すべての屠殺台、いわゆる「落第生席」、そしてこの一族のクジラともいうべき不滅の長ベンチ。これらに続くのは、輿や車椅子の類である。たとえば古代ローマの執政官の象牙製のセラクルスや、通風やリューマチ患者がテーブルとベッドの間を移動するのに使う木製の「室内馬車」など。ここから馬車へつながって、キャブリオレ(一頭立二輪馬車)、床の高いイギリスのファエトン(二頭立四輪馬車)――日の車を転覆させた太陽神の息子の名にちなむ――、カレッシェ(折りたたみ式幌付きの軽快な馬車)、その他あらゆる客馬車、旅客馬車、郵便馬車が続く。馬車にはドイツの肋骨骨折タイプから、イギリスのスプリング付きの揺りかごタイプ、堂々たる戴冠式パレード用タイプまである。パレード用の馬車については、「城門よ、頭を上げよ。とこしえの門よ、身を起こせ。」(「詩編」第二十四章、第七節)と命じる代わりに、控え目に、まず門の寸法を測らせたという話も伝わっている()。長椅子のすぐ隣、車椅子の向かいには、「滑り椅子」すなわち、橇が何百種類もある。何千もの鈴の音を上げながら冬の穏やかな風の翼さえも追い越していくような、豪華な造りのものから、死刑宣告を受けた罪人だと告げる鐘を単調に響かせて処刑場へとそろそろと進む、葬送の橇まで。それからお次はやはり椅子の一族たる乗馬用の鞍である。男性用ならびに、あまり知られてはいないが婦人用もあり、これならば今やもっとも足が速く誇り高い駿馬ペガサスでもいやがりはしないだろう。別の側には、「白状してしまえ」とばかりに拷問にかける宗教裁判所の審問の椅子と、さらに実のある秘密を釣り出すための、内科的外科的な仕掛けをもつ椅子がどこまでも続いている。この最後のものについては、その非常に珍しい変種がヴァティカンのどこかの小部屋にあると言われているが、その名称は忘れてしまった。以上、かなりの回り道をしたが、ついにデゾブリジャン(無愛想)(**)と呼ばれる一人乗り馬車にたどりつく。これこそがここで問題にしているものであり、夜の女神に由来する例のもの、つまりおまるなのだ。「大山鳴動して鼠一匹ですわね。さっさと言ってしまうことはできませんでしたの?」「不可能です、奥様。」「どうしてですの?「失礼ながら」とことわって、私ならすぐ言いましたわ。」「つまり、かなり礼を失してですな。」「そんなことはございません。「失礼ながら」と言い添えてのみ口にできるような事柄も、やはり礼をもって言われなければならないのです。」そしてそのような義務をわれわれは今や果たしたと思う。

(原注) これは、できる限り盛大な行列をしてフランクフルトに入城しようと考えたある領主が、馬車を作らせる前に市門のサイズを測らせた、という民衆の言い伝えにもとづいている。統治の豊富な経験を示す慎重さがうかがわれるが、おそらく史実ではなかろう。

**(原注) スターン作『センチメンタル・ジャーニー』に出てくる「ヨリックの馬車」のように、一人乗りであるためにこう呼ばれる。

 

【病気とはそもそも何であるのか、きわめて簡潔な説明がなされます】

この片隅にはさらに例の周知の紡錘形をした器具、すなわち浣腸器まである。暖炉の上方に打たれた釘に掛けられて、何本かの薬瓶と欠けたジョッキの間にぶら下がっている。そこは部屋中で最高の飾り棚である。思い違いでなければ、ホーガースはこの器具を故意に高めることと、関連する物品を目につかせることによって、二人の医者が「吐剤・浣腸療法」を主としてほどこしていたと暗示したいのだ。これはいいだろう。だがそれで嘲笑しようというつもりまであるとしたら、それは公平さに欠けるというものである。この療法がその有効性を、いわば「幾何学的」に、かつ優雅に実証できるほとんど唯一のものであったと、ホーガースは知っていたはずである。この娘がこのせいで死んだとして、それがどうしたというのだ? ああ天よ、人は何によっても死ぬのである。ワルシャワで一七九二年一月に、国会議員のヤブルコフスキが牡蛎を三百個食べて死んだ()。心と政治の病気を専門とする有名な医者、スウィフト博士がすでにこのあたりの仕組みについては説明しているが(**)、あまり人々に知られていないようなので、博士が子供にもわかるように表現したことを、そのままではここにはふさわしくないので、いくらか衒学的に、書き言葉に翻訳して紹介しようと思う。病気とは、誰もが承知している通り、体内のさまざまな機能の自然の流れが逆行する以上のことではない。従ってこれを再び逆に、すなわち正しい方向に流れるようにするためには、最初の逆流を引き起こした従来の生活習慣をどうしても変えなければいけない。このことはあまりに明白であるから、わざわざ何かを参照しなくても、誰もが各自の頭で理解がいくだろう。そこで先へ進もう。ところが病気になる者が皆、病気になるその瞬間まで口――Aと名づけよう――で飲んだり食ったりし、そして反対側の口Bで出す方の始末をしていたのだから、従ってこの条件が変わらないなら、混乱を制御して健康を取り戻すことは不可能なのだ。これは真昼の明るさと同じくらい明白なことである。となると何をすべきか? この問いにはすぐに答が出る。Bの方の口で食べることにし、出す方はAの口にまかせるのだ。すなわち浣腸と嘔吐である。自然はビクッとして向きを変え、こうして望んでいたことが生じる。

(原注) 「フランクフルト諸国ダイジェスト」一七九二年、第二二号参照。

**(原注) 『ガリヴァー旅行記』第四部「馬の国への旅」第六章。

 


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